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マゾッホのこめかみ



「で、結局、上手くいかなかった訳ですな。ま、若い娘相手じゃ、無理も無い」
 と、樺山。

「持ち金も、盗られちゃったんですか?」
 とロッカ。

「ええ。預金通帳と印鑑、渡してましたから……結局、全額、下ろされちゃって……」
 と、悲しそうな顔の小松さん。

「バッカだなー! あ、ごめんなさい」
 と秀雄。

「いえ。いーんです。その通りですから」
 と小松さん。

「あの、どの程度、貢がれたんですか? 差し支えなければ……」
 とロッカ。

「ええ。ワタシの持って出た金は、沙耶花が今、住んでいる、マンションになりました。ま、中古物件ですけど……」
 と小松さんは、しょんぼりと答えた。

「小松さんはそこで、一緒に暮らしていきたかったんす。俺、一回、遊びに行ったんすけど、2LDKの、広くていーとこっすよ」
 と孝太郎。
「追い出すなんて、ひでえ女だ! マンション返してもらえないんすか?」
 と秀雄。

「沙耶花の名義なんです。そもそも沙耶花に買ってやったものですから。お金の事は、もう何とも思ってないんです。ワタシは何もいらないんです」
 と、かみしめるように小松さんが言った。

「うーん。家も取らしょう。田も取らしょう。って。小松さん、太っ腹ですな」
 とロッカ。

「いや、失礼ですが、家賃をいただくとなるとですね、その……」
 と、樺山。

「ええ。ご心配は、ごもっともです。ええ。その程度の金はまだ、なんとか……」
 と小松さん。

「二階の六畳間になります。日当たりはいいですよ。古い建物ですけど、まあ、風呂は広いし、トイレはウォシュレットの最新式のヤツです。あはは党首が痔持ちなもんでね。家賃は……2万円にしときましょう。光熱費等、込み込みの値段です。これで、どーですか?」
 と樺山。
 小松さんの顔に喜色が走った。
「そんなに安くてよろしいんですか?」
 と言った。
「結構ですよ」
 と樺山。
「プータロー党首のタバコ代ができたな」
 とロッカ。
「あの、住人の義務として、家の掃除は、交代でやってもらう事になりますんで。そこんとこ、ひとつヨロシク!」
 と、秀雄が付け加えた。




「これでひとつ、ホッとしました。いつまでも孝太郎くんのお世話になる訳にはいきませんからね」
 と、顔の緩んだ小松さん。
 ロッカが笑う。
 樺山も笑ったのだが、やはり不気味な顔だ。

「孝太郎、お前今まで宿の提供してたのか? いーとこあるじゃん」
 と秀雄。

「いや、小松さんにはずいぶんお世話になったんだ。だけど俺んちはワンルームだろ。荷物も多いしな。ほんと、NHKのおじさん達、サンキューでした」
 と孝太郎。

「あのな、NKSRっちゅーの。な」
 と秀雄。

 ワインが進み、二本目のマグナムボトルを取った。
「いや、終いの頃は、己という者を、いや、老化というものを思い知らされました。……」
 と小松さん。

「老化ですか?」
 と樺山。

「ええ。加齢臭が臭い。とか、部分入れ歯を、水を張ったタッパに入れておいたんですが、これが汚らしいとか。洗濯してたんですが、私の物と一緒に洗濯機に入れたら、気持ち悪いから別々に洗ってくれとか。私自身、そこまで老人臭い奴だとは思ってなかったもんで、……ショックでした。老化ってのは、実に悲しいものですな」
 と小松さん。

「身につまされますな。いっその事、ボケて、気にならないトコまで行っちまった方が、幸福ってもんかも知れませんな」
 と樺山。

「まあ、小松さんは我々にとっちゃ『予告編』ですからね。『いいトコ取り』しましょうや。短い期間だったとしても、麗しのストリッパーと一緒に暮らしたんだ。こりゃ勲章モンですよ」
 とロッカ。

「ああ、あの柔らかな手。それから、すんなり可愛い『子供脚』。思い出してもタマランですよ」
 と小松さんは助平づらになった。

「そーこなくっちゃ。私もストリッパーは大好きでして、肉体の手入れに怠りは無くってね。ひたすら精進してオンナのカラダを造ってるって事だ。タマランですよ」
 とロッカは元々助平づらだ。

「そういえば、お前、若い頃から、一緒になるならストリッパーがいいって、言ってたもんなあ」
 と樺山。

「ああ。俺は元々天才ミュージッシャンだったからな。ストリッパーは音楽ってもんがワカッテルんだ。きっと相性抜群の筈だったんだ。実際、いい女はいたんだよ。あの、まな板ショーの時、欧米系のわりには小柄な女だった。ありゃきっとポルトガル人だな。間違いない。目で誘ってくるんだよ。周りの男はカボチャばっかだったから、どーせならイー男の俺とヤリたいってな。くそ! 舞台に上がる勇気さえあったらなあ……結局、縁が無かったって事になる」
 とロッカ。

「ぐふふふふ。あんまり笑わせんなよ」
 と樺山。

「抱きたくて、抱きしめたくて、なんでも言う事聞いてるうちに、平手で殴られたり、尻を蹴られたりするようになりました。それさえ気持ち良かった。『毛皮のビーナス』ご存知ですか? 結局、あんな感じになっちゃった」
 と小松さん。

「『恋愛には主人と奴隷しか存在しない。支配する者とされる者しか』ってやつですな。マゾッホだ」
 とロッカ。

「そーなんです。或る日、私が帰ると、ヤッておったんです。若い男と。沙耶花の元々の恋人らしいんですけど。……私は耐えました。……未練があったからです。……惨めで情けなくて、悔しかったんですが、一緒にいたい一心で耐えたのです。……まあ隣の部屋に入って、ドアに隙間を作って覗いていたんですけど」
 と小松さん。

「あははは。覗きですか」
 と樺山。

「『ああ、抱かれる妻を見る苦痛、こめかみに激痛が走る。独占するには美しすぎるんだ』。何せマゾッホは『こめかみ』だもんね。『毛皮のビーナス』を地でいった訳ですね。いいなあ」
 とロッカ。

「ロッカ先生って、さすがに博学ですねえ」
 と小松さん。

「いや、まあ、せっかく自分の小説に登場してるんだから……どうせなら売れっ子作家って設定にしときゃよかった」
 とロッカ。

「何言ってんだか。そもそもマゾッホは、若い頃、俺が教えてやったんじゃねえか!」
 と樺山。

「何だと! お前ずっと『毛皮のマゾッホ』」って言ってたじゃないか。お陰で俺は、マゾッホってのは毛皮を着た、毛皮フェチのマゾヒストだって、ずっと勘違いしてたんだぞ!」
 とロッカ。

「よく調べないお前が悪いんじゃないか! だいいちお前は、昔、『あからさま』って言葉を『あらかさま』って言ってたじゃないか! しかも連発で使いやがんの。本当に、馬鹿丸出しだあ! アイ・エル・シー・シーの船上パーティーの時だ! 桃山理事長のまん前でだよ! 一緒にいた俺は、もう、恥ずかしくって、恥ずかしくってなあ。穴掘って、埋めてやりたかったよ!」
 と樺山。

「何だと樺山、このカバ! ゾンビ男!」

「何を! 千の駄目山! ロクデナシの薄ッパゲ野郎!」

「おい秀雄、喧嘩始めちゃったよ」
 と孝太郎。

「なあに、毎度の事だ。それより、沙耶花って女、許せねえな!」
 と秀雄が言った。



















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